娘がそう言ったあの日のことを、私は今でもはっきり覚えています。
高校2年生の夏休み。 両親と私、息子と娘の5人での北海道旅行2日目。 札幌テレビ塔を見上げながらベンチで休憩している平日の夕方、「北海道の夏は暑くないねー。公園のベンチに座れるなんて、すごいよねー」なんて、のんきに話しているときでした。
「お母さん、やっぱり、美大に行きたい」
正直に言うと、その瞬間に頭をよぎったのは「えぇ?」「工学部じゃなかったの?」「どんだけ学費かかるの?」「就職どうすんの!?」 ……でした。
次の瞬間、頭の中の不安はすべて口から漏れていました。
実は、以前にも似たようなやり取りがあったのです。 私から「美大に行きたいとか思ったことある?」と聞いたとき、数日後に娘が出した答えは、 「絵は趣味で描く。エンジニアになって、ちゃんとお金を稼げる安定した職に就きたい」 というものでした。
その時私は、正直、安堵しました。 美大に行くお金はないし、将来も不安。安定を選んでくれてよかった、と。
けれど、それからの娘から工学部を目指す熱量を感じることは、ありませんでした。 三者面談で、家庭での勉強時間を聞かれた娘が「5分」と答えたときの驚愕といったら。 (5分って……あなた、ノートを広げてシャーペン持ったら5分くらい経つよね!? 言わなきゃバレないのに、なんで正直に言ったの!?)
そんな「5分の伏線」があっての、二度目の告白。 あの日、無理やり自分を納得させて「安定」を選ぼうとした娘が、言い出しにくい思いを抱えて、ようやく絞り出した「やっぱり」。
私が「大学とか調べたの? どこに行きたいの?私立はお金ないよ?」と現実を突きつけると、娘は言いました。
「……藝大」
本日二度目の、驚愕。 東大より難しいと言われる、あの、芸術の最高峰。 でも、その時の娘の顔は、工学部を目指すと言っていた時の「5分」の熱量とは、明らかに違っていました。
その後、何を話したのかはよく覚えていません。 札幌テレビ塔の展望フロアに上がるエレベーターの中で、外の景色を眺めながら、「来年の今頃、私たちどーなってるんだろー」と遠い目をしていました。
よし。一旦、北海道を楽しもう。 あとのことは、帰ってから考えればいい。 心の中で、そう思いました。


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